えいめいつまおびひろいずすずじゅうろうわたなべまさる112よだべんぞうばんせいしゃねん勉三の生い立ち1853(嘉1876(明1879(明治12)年:妻1881(明治14)年:1人で北海道を調べに来る。1882(明治15)年:晩成社をつくる。銃太郎とふたたび北海道へ来る。入植地をオベリベリ(帯1883(明治16)年:晩成社の人々を連6)年:静岡県伊9)年:学生時代,鈴リクと結婚。広)に決める。豆の大沢村で,大地主の家に生まれる。・渡れ,オベリベリへ出発する。辺勝と知り合う。かお念きか栄じきた治木銃太郎つはじけたお茶わんが置いてあめて開たく(2)十勝の開たく 依田勉 次にわたしたちは,十勝がどのように開たくされていったのかを調べてみることにしました。「何の写真でしょう?」といいながら,先生が1まいの写真を見せてくれました。「ずいぶんそまつな身なりをしているね。」「手にははしを持って,ゆかには欠るよ。」などと話し合っていると,先生が「この人が十勝に初に入った,依田勉三です。この写真はかれが開たくに出発するときにとった記三と晩成社写真です。」といいました。
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