3・4年社会 きょう土読本「新得」
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勉じと途別治樹花場きかと別別きた木太労続く力どい1883(明治16)年~晩成社移し)を試き製の畑をたがやす機ばんせいしゃ晩てつせいよう1887(明治20)年~養さん蚕みんだん民しゅう入植,イナゴの大発生で収か1884(明治17)年~蚊かく穫ぶた流行,豚やぎかい械そめものげん物と原りょう料さく作べつよだべんぶねわたなべまさるあまかいさん散すずじゅうろうせいべつろうぼくじょうまくべつれんぞくりょく115べんぞうのこめいたいしっぱいせいこう成社年表1885(明治18)年~馬を使い畑づくりを始める1886(明治19)年~オイカマナイに牧場をつくる,デンプン工場,ハム工場をつくる プラウ(鉄始めるあい1888(明治21)年~藍が悪く,品物は 鈴木銃太郎郎銃 鈴団27名オベリベリに,ブヨ大発生,オコリ(熱病)と山羊をかう)を使う(かいこをかい生糸をとる)を(染は,「十勝水田発しょうの地」といわれ,のちにこの地区は「依田地区」とよばれるようになりました。当時は交通の便川を丸木舟で運んだ。 バターのラベル 渡辺 勝辺 勝 渡麻工場をつくる,牛肉店を始める始める 依田 勉三 依田 勉三1890(明治23)年~オイカマナイ牧場で火事なし1893(明治26)年~製材工場をつくる,移民3戸にへる1894(明治27)年~亜1898(明治31)年~大こう水にあう1900(明治33)年~途別で水田づくりを始める1902(明治35)年~バター,コンデンスミルクづくりを1905(明治38)年~木炭をつくり始める1911(明治44)年~かんづめ,シイタケづくりを始める1925(大正14)年~依田勉三 病死(73歳)1932(昭和7)年~晩成社 解19)年には,勉三自身もオ町生)へうつり,牧敗でした。せい品をつくって(幕町)にと失敗の連は,その後三の残したもの 勉三は,その後どんな仕事に取り組んだのでしょう。 1886(明イカマナイ(大を始めました。バター,牛肉,デンプンなど,さまざまな仕事にちょうせんしましたがほとんど失も近くに買う人がいないのです。その中でただ一つ成功したのが,途開いた水田です。1909(明治42)年ついに13町歩(13ha)の水田にいなほが実りました。 勉三と晩成社の仕事は苦でした。しかし,かれらの努にやってきた多くの開たく者たちの進むべき方向をしめしてくれたことは,まちがいありません。

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