ろ蘭路し験治き代じ和わ生祖そかむろたんらんくしからふとようつづじょうそうけんしょだい120ゆいいつめいこうあんしょうさいいちろうのこなぜ小樽市ではガラス工芸がさかんでしょうか。代にもっともさかんな時期をむかえ,小樽のほか,室つほどになったようです。浅原硝子製造所の浮き玉「国内に唯 「ガラスで浮きをつくってもらえませんか」と,水産試のいらいを受けたのが,1900(明ざっ器やランプ,薬びんなどを製造していた浅原硝子製造所初の浅原久吉さんです。浮き玉を考またたく間に全国へと広がり,北洋漁業やニシン漁とともに発てんしてきました。しかし,昭につれて,そのじゅ要ろにはプラスチック製の浮きの登場によってますますじゅ要がなくなり,全国の製造所はそのすがたを消してしまいました。今ではプラスチック製の浮きが主となっています。一方,ほとんどが店をしめてしまった浮き玉製造所ですが,全国で唯一,今もなお浮き玉をつくり続浮き玉が誕に工場を開き,げんざいでは浅原宰の前に立っています。曽きしとともに100年続いていたこのぎじゅつは,インテリア小物としてすがたを変いくでしょう。太などに工場を持一残案したのは1910(明治43)年。30年代からニシンがげん少するもげん少しました。さらに,昭和50年ご父から受けつがれ,北海道の漁業のれ,釧,樺けているところがあります。それが,ガラス製した所でもある浅原硝子製作所です。小樽の天神町えながらも,わたしたちのくらしに残されて場からる浮き玉製作所」33)年に創業し,当時生活一郎さんが4代目としてかま
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