子す治じ育こくみんはふろしきにつつみ,遠い道を学校に通ったそうよ。ノートやえんぴつのかわりに石じ字のてつだいなどで,毎日学校に来られない子どもがたくさんいたそうよ。当時のころのお話 この学校ができたとき,子どもの人数は20人くらいで,1人の先生が1年生から4年生まで,全きもめんの着ひん品をきていて,冬はわらぐつ,つまご,手には,てっかえし,学というものをつかったそうよ。勉強は,読み(国語)書きもの物せき板や石ひつ筆員を教えていたそうよ。子どもたちは,かい)そろばん(算数)だけだったそうよ。開たくのはじめのころは,子もりがくよう用きょうせきばんしゅう(習はたけや畑ぜんいんめいいくしょ66よう3.学校のうつりかわり つまご 新得かんい教育所 石板と石筆 新得国民学校 てっかえし35)年のことです。新所としてできました。(1)学校ができたころの様 わたしたちのまち,新得に学校ができたのは,1902(明得かんい教
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